Blog


人生をより良くする方法②人生の敵

人生最大の敵は、自分自身である。自分が自分を信じられずして、誰が信じてくれようか。自分が自分を好きになれずして、誰に愛されようか。Negative Thinking マイナス思考は体の不調を招き、不健康な体を作る。悪い未来しか想像できないとき、どうせだめに決まっていると諦めているとき、自分の回りは敵だらけと思っているとき、神も仏も存在しないと思っているとき、運勢は益々悪くなる。

Continue Reading

人生をより良くする方法①人生を幸福にする味方

人生をより幸福にするには、できるだけ幸福の味方を増やし、幸福の敵を減らすことだ。では、人生を幸福にする味方とは何か。まず自分自身が自分の最大の味方でなければならない。自分が自分自身の味方にならずして、一体誰が味方になってくれるというのか。自分が自分を好きにならずして、一体誰が自分に好意を抱いてくれるのか。誰も嫌いな人間の味方になろうとは思わないはずだ。 味方になってもらうには、嫌われないことも重要だ。それには、健康な肉体を持ち、健全な考え方をする必要がある。自分を超越する神や仏の存在を認めることが重要だ。そして、いつでも自分を信じてくれる人に気付く。それは親であり、子供であり、配偶者であり、友...

Continue Reading

Continue Reading

ちょっと気になる話㉙天皇制

日本の天皇制は文化であって、支配体制ではない。日本という国家・民族をひとつの家族としてとらえ、その親を天皇家と定めたものである。国民を子供、天皇を親とみなし、日本という国土を一軒の家とみなす。それが日本という国家モデルなのだ。 従って、天皇は支配者であってはならず、国民に対し自らの命を挺して絶対的愛情を注ぐ存在でなければならない。そうでない天皇は、退位してもらう。かつての後醍醐天皇のように。 万が一、外国が突然攻め込んできて、首相を殺し、国会を破壊したら、国民は一体誰の意見に従うだろうか。外国では無政府状態になることによって、内線に突入する。しかし日本では一度も内戦は起こっていない。いつも天皇...

Continue Reading

Continue Reading

ちょっと気になる話㉘昭和天皇

昭和天皇は、祖父明治天皇をこよなく尊敬していた。明治天皇にならい、昭和天皇も直接政治に関与しないことを誓っていた。明治天皇が政治に関与しなかったのは、させてもらえなかったからなのだが。 しかし昭和天皇も、二度この禁を破ったことがある。一回目は2.26事件の時、二度目は1945年8月15日の敗戦受諾の玉音放送の時、である。昭和天皇は、この二度の事件を悔いているが、そのような場面にまで天皇を追い込んだ国民の側にこそ責任がある。戦争責任者を連合国が裁いた東京裁判は、勝者の論理による虚構である。 しかし、日本国民自らも、きちんと戦争責任者を裁かなくてはならない。何もかも犯罪だとした巣鴨裁判は茶番劇であ...

Continue Reading

Continue Reading

ちょっと気になる話㉗日本を滅亡から救った明治天皇

仮に明治天皇が孝明天皇の直系ではなかったとしよう。しかし南朝方出身であれば、古の時代に天皇家を繋がっている。 日本の歴史を見れば、天皇家は決して万世一系ではない。むしろ違うからこそ、明治時代に突然と言い出したのではないか。薩摩・長州の革命政権を担う下級武士たちにとって、旧支配階級は目の上のたんこぶだったに違いない。幕府も朝廷も全て無力化したかった。事実、明治政府高官が明治天皇を「おかみ」と呼び、軽んじていたことが記録に残っている。 しかし、明治天皇は傀儡政権の単なる飾り物ではなかった。日清戦争・日露戦争といった国難を指導し、日本を滅亡から救った。明治天皇は、歴代の天皇の中でもずば抜けて名君であ...

Continue Reading

Continue Reading

ちょっと気になる話㉖明治天皇の謎

明治天皇が孝明天皇の息子なら、紛れもなく北朝方出身である。孝明天皇は公武合体と尊王攘夷を掲げ、徳川家茂に妹を嫁がせている。 その孝明天皇と家茂は同じころ突然死亡している。当時、暗殺のうわさが絶えなかった。犯人は岩倉具視ではないか、とささやかれている。孝明天皇の皇子たちは、皆宮中にいたので皇族や公家たちはよく知っている。その中の一人、睦仁親王は、ひ弱で背も低く、病弱であった。ところが、明治維新に颯爽と馬に乗って登場した睦人親王は、背も高く颯爽と馬に乗り、顔には天然痘の痕があったという。宮中で天然痘が流行ったという記録は残されていない。当時の皇子に乗馬をする習慣もない。 この睦仁を名乗る人物は一体...

Continue Reading

Continue Reading

ちょっと気になる話㉕鎌倉幕府から室町幕府へ

北條政権が倒されると、一時的に天皇親政が敷かれる。建武の新政と呼ばれる。大覚寺統出身の後醍醐天皇のときであった。後醍醐天皇は実質的には何もせず、足利尊氏や新田義貞らの力で鎌倉幕府を倒した。にもかかわらず、後醍醐天皇は権力を朝廷に集中させ、平安時代の身分制度を復活させる。武士は宮中に参内することができなくなった。土地も取り上げられ、貴族で分配した。 これに怒った武士たちは、足利尊氏の下に集まり、再び反乱を起こし、後醍醐天皇を追放し、室町幕府を樹立する。後醍醐天皇は 奈良吉野に逃れ、南朝天皇となる。幕府は、幕府に協力的な持明院統の天皇を位につける。これを北朝天皇と呼ぶ。ここから二人の天皇が同時に存...

Continue Reading

Continue Reading

ちょっと気になる話㉔皇統対立

北條氏が支配する鎌倉時代、実験は鎌倉幕府執権が握っていた。天皇の力は弱められていた。天皇による幕府への謀反の首謀者として順徳院を島流しにすると、幕府よりの立場をとる後嵯峨天皇を擁立した。 後嵯峨天皇は自分の後継に、息子の後深草天皇と亀山天皇を帝位につけた後、二人とも院としたが、どちらを最終権力者とするか決めないまま崩御した。幕府の顔色を伺っていたためと思われる。 幕府は弟の亀山院を指名し、亀山院の息子が天皇となり、院政が始まった。兄の後深草院は悲嘆に暮れたという。15年後、気の毒に思った幕府は、今度は後深草院の皇子を天皇につける。すると今度は後深草院による院政が始まる。伏見天皇、後伏見天皇と続...

Continue Reading

Continue Reading

ちょっと気になる話㉓宇多天皇

宇多天皇は家来から天皇になった。原因は藤原氏による権力闘争の策略の結果だった。第54代仁明天皇の後継者をめぐり、藤原本家筋の母を持つ文徳天皇が第55代天皇となる。文徳天皇には幼い頃から聡明で人望も厚い弟時康天皇がいたが、母親の身分が低いという理由で皇位から遠ざけられていた。当然その子供たちも皇族から臣下の身分に落とされた。姓も源氏を名乗った。 ところが、文徳天皇から清和天皇、陽成天皇へと近親結婚を重ねた結果、陽成天皇に精神病が発症する。藤原摂関家としては、都合が悪くなり、陽成天皇をすぐに退位させてしまう。その後釜に浮上したのが、時康天皇だった。親王は既に高齢になっていたが、即位して第59代宇多...

Continue Reading

Continue Reading

ちょっと気になる話㉒桓武天皇

桓武天皇は、天智天皇の子孫である光仁天皇と渡来系下級官吏の娘との間に生まれた。平城京は度重なる惨劇の舞台となり、怨霊に祟られていた。そこで新天地を求めて長岡京に遷都し、次に平安京に都を移した。 京都は風水上最強都市であり、千年王国と呼ばれている。四方に神を宿す配置となっている。つまり都の北に玄武(山)、東に青龍(湖)、南に朱雀(門前町)、西に白虎(街道)を配置している。中央に龍穴という泉が湧き出る所があり、ここを神仙と呼ぶ。

Continue Reading

2 / 2712345...1020...最後 »